「ディア・ドクター」感想

西川美和監督の最新作「ディア・ドクター」を観てきたので感想。
> [西川美和監督最新作『ディア・ドクター』公式サイト](http://deardoctor.jp/)
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> 村でただ一人の医師、伊野(笑福亭鶴瓶)が失踪(しっそう)する。村人たちに全幅の信頼を寄せられていた伊野だったが、彼の背景を知るものは誰一人としていなかった。事件前、伊野は一人暮らしの未亡人、かづ子(八千草薫)を診療していた。かづ子は次第に伊野に心を開き始めていたが、そんな折に例の失踪(しっそう)事件が起き……。

率直な感想は、**もやもやして不完全燃焼**という感じ。というのは、主人公である伊野の心理描写はクリアなのに、周りの人間のそれがほとんどなく想像するしかないから。実際、伊野へのフォーカスが強く注意して観ないと「実は偽の医者だったが、本物の医者より熱心に患者に接する素晴らしい人間だった物語」の1文で纏められてしまう。
「伊野⇔それ以外の登場人物」という1 VS 1の関係が登場人物分だけあり、伊野以外の心理描写は謎。だから「謎な箇所」が点在し、これが不完全燃焼を感じさせる要因かも(大きな謎が1つ残るならシンプル)。Web上の感想も、映画評論家から素人まで言及してる場面と視点が違う。
### 自分なりに登場人物について言及する
#### 伊野
主人公。彼がなぜ偽医者を名乗ったか。相馬とのやり取りでは「金のため」と嘘ぶいてるが、斎門が刑事に語った事が真実に近いと思う。つまり伊野は医療メーカーの営業だったが、薬を売って回ってるうちに本当に人を助けたくなった。父親が医者だというのも一因だったかもしれない。父親のボールペンを愛用し、村を逃げ出したす時に手放し父親に報告する場面から想像できる。
「名医」を演じる自分に止めをさしたのは、りつ子の思いだろう。かづ子とは「病気を娘に教えない」と約束した伊野だが、実際に母を心配する娘の前で嘘をついてる自分に耐えられなったのだと思う。あの場面は見てるこちらも心が痛かった。
そこで真実を告げず逃げ出した伊野。最期まで「名医」でいたかったのかもしれない。黙っていなくなれば村人が落胆する表情を「自分は」見なくて済むから。そういう意味では刑事の「名医と崇められていい気分だった」という指摘も一理ある。本当に責任感があるなら、その場でりつ子に謝罪し今までの経緯を話すはず。悪者!ってわけじゃないけど、善意以外の感情も混ざってたんじゃ?と想像できます。
#### 相馬
他の人物に比べればちょい役であるw 唯一の見せ場は伊野が偽とばれてからの刑事のやり取りかな。「先生は偽者だったけど僕に大切なことを教えてくれました」くらい言うかと思ってたから意外だった。あんなに伊野に陶酔してたのに…。
感情的には伊野を支持したいけど無免許医師=犯罪という常識が邪魔をして、冷めた態度を取ってしまったのか…。伊野に騙されたというより偽者を信じた自分は正しかったという感情が強いと思う。
ここらへんは新興宗教の教祖が逮捕された後の信者と重なるものがある。自分が信じてたものが公権力によって偽と断定された。とはいえ教祖を支えにしてたのは事実だし実際いい人だった。みたいな。
#### 大竹
看護師。3年半も一緒にやってれば伊野が医師でないことには気づいてたんでしょう。中盤の急患対応の場面でそこらへんが描かれますが、なぜ大竹はそれでも伊野を医師として扱ったのか?それは大竹自身が本物でも偽者でも「医者」という存在が村に必要だし、支えてなっている現状を誰よりも実感していたからだと思います。ラストシーンで息子を看病する所から読み取れる。
ただ、急患対応の場面では「医者なんて飾りでいい」という態度も。自分の能力に自信があったとも取れますが、伊野より有能な医者を呼ぶことは無理。それなら飾りだけでも居るだけで十分と諦めていた。伊野のセリフ通り「足りないことを受け入れてた」のかもしれません。
#### 斎門
悪い人w 兼解説役。この人に関してはそれだけかもしれない。
#### 鳥飼かづ子
後半は伊野とかづ子・りつ子の3人を中心に回ります。かづ子は自分の体が長くないことを知りながら娘に迷惑をかけないよう黙っていてほしいと伊野に頼む。伊野もそれを承知するのですが、娘のりつ子は医者でありながら父親の病気に気付けなかった後悔からなんとしても母親は自分で看取りたいと思ってる。ここでお互いのすれ違いが発生。
で、かづ子は結局どうしたかったのかが謎。口では娘に知らせないでほしいといいつつ、劇中では娘に電話するシーンもあり。結局留守電でしたが、あの時りつ子が電話に出ていれば自分の体が悪いことを告白していたのか?伊野の失踪後、検査を受けることを承諾したってことは、劇中で少しずつ気持ちが変わっていったのかもしれません。
娘には迷惑をかけずに死にたい。けど娘が本当に自分を心配してくれてることを悟り頼る気になった。病気が進むにつれて死の恐怖も増えていったのかも。
ということで、こちらのレビューはちょっと違うんじゃないかな、と思う。
[見映画批評『 ディア・ドクター 』|福本次郎氏](http://www.cinemaonline.jp/review/ken/8550.html “見映画批評『 ディア・ドクター 』|福本次郎氏")
登場人物をはっきり白黒つけられるほど単純な映画じゃない。
#### 鳥飼りつ子
周りからは親に対して何もしないくらいに言われてるけど、りつ子本人は父親の病気に気付けなかったことを後悔しており、母親に対して同じ過ちを繰り返さないよう誓っている。
その割には実家に帰るのが1年に1回だったり、りつ子が病気と分かったら東京の病院に連れて行ったりと「本当は母親の事考えてないじゃん!」と突っ込まれる場面もあるが、りつ子に対する見方は人によって分かれると思う。
りつ子は都会で働く若者として現実的な選択をした…と思う。かづ子も言ってたが「娘が苦労して手に入れたものを私の病気で足引っ張りたくない」。口には出さないがりつ子も少なからずそういう思いがあったのではないか。まぁ言いにくいが僕にもある。例えば親が病気になったとしてどうしようか?実家に帰って付きっきりで看病するのか?それとも「ポイッ」と病院に入れてしまうのか?自信を持って前者を選択できる人は少ないんじゃないかな…。登場人物の中でりつ子に一番共感を覚えた。
りつ子が伊野の診断を信じた場面。あの時点ではかづ子は元気に振舞ってたし伊野が出してきた写真も偽だった。騙されたのは仕方がないと思う。あるいは「かづ子が元気であってほしい」というりつ子の思いが判断を甘くしたのかもしれない。人は信じたいものを信じるから。


こうやって書いてみないと、いろんなテーマが内包されている映画だった。それだけに、観終わってから場面場面振り替えらないと「偽医者だったけど村人に大切にされてよかったね」で終わってしまう。まー終わっても映画だし作り物だし別にいいんだけど、せっかく見に行ったんだからちょっと余韻に浸りたいよね、ということでまた長いエントリになってしまいました。
### 共感した感想
* [ディア・ドクター: LOVE Cinemas 調布](http://sorette.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ebaf.html “ディア・ドクター: LOVE Cinemas 調布")
* [『ディア・ドクター』・・・自分を偽る嘘と他人のための嘘 SOARのパストラーレ♪/ウェブリブログ](http://pastorale-soar.at.webry.info/200906/article_14.html “『ディア・ドクター』・・・自分を偽る嘘と他人のための嘘 SOARのパストラーレ♪/ウェブリブログ")
* [「ディア・ドクター」:フリーライター・山口拓朗の音吐朗々NOTE](http://yamaguchi-takuro.com/100/115/post_341.html “「ディア・ドクター」:フリーライター・山口拓朗の音吐朗々NOTE")