思ったこと、考えたこと Archive

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そのURLは本当にブクマするほどのものなのか?

と思ってしまった。

いや、溜まりに溜まった自分のはてブを見て、だ。

人気の記事や「これは」と思った記事はブクマするようにしているが、それを後から見返す事は少ない。車輪の中で回るハムスターのように延々とブクマして満足し、自分の生活は何一つ変わってない。


ということで、一度はてブから離れてみようと思います。2005年に登場した時はDeliciousの日本語版としてブレイクし独自のコミュニティもできたが、2010年現在、メモするだけならEvernoteその他ツールも充実してるしコメントを100文字以内で抑える意味もない。前述の通りブクマしても後から見返さないならブクマする意味もない。「念のため」でブクマしたURLを増やすより、本当に必要なものを吟味して保存するように変えていこうと思ったのだ。…まぁはてブのコメント欄での揉め事や挑発的なコメントを見たくないってのもありますが。

Googleデスクトップや各種メモツールの登場で「なんでもかんでも保存して検索はツールに任せる」ってスタンスが推奨されるようになったけど、保存するタイミングで頭を使って取捨選択するのも重要だと思う。保存するか/捨てるかメモ毎に悩む事になるけど、そうやって残った情報をきちんと分類することで何を保存したか・いつ保存したかが頭の中で整理されるような気がする。

仕事には必ず締め切りを決めろ。「いつかやる」はやらなくていいのと同じというけど、URLをブクマするならその目的とそのURLをいつまでに使うのか、ちゃんと考えてメモに放り込もうと思いました。

※ とはいえはてブはネット上の友人とのコミュニケーションツールでもあるので、そういう目的では続けて使っていくつもりです。

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「無断リンク・無断フォロー禁止!」を認めよう、という話。

無断リンクされなくなければアクセス制限かければいいし、無断フォローされたくなければ鍵をかければれば良い。そうじゃないってことは見知らぬ人にアクセスされても仕方ないって考え方を人に強制するのはやめようという話。そういう人を見つけても、それも1つの考え方と認めてそっとページを閉じるのがいいんじゃないかな、と。嫌がるのを無理やりリンクしたり考えを改めさせようとしても相手は変わらないし、「インターネットはそもそも…」と語っても相手に届きませんし。

「嫌なら鍵つければいいのに」という主張が相手に届かない理由。

それは相手がポジティブな方の出会いだけ期待しているから。新しい出会いがほしいから情報を公開する。けど面倒な人とは関わりたくない。甘い考えかもしれないし、ネットするなら批判や中傷も当たり前、というのも考え方の一つ。

けど、嫌な人とは関わりたくないって普通の発想だと思う。だって僕らの実生活がそうだもん。家にしつこい勧誘の電話がかかってくると嫌でしょう。「自由なインターネット」には僕も賛成するけど。技術的に可能だからといって何でもOKじゃない、ってのは実生活と同じ。

例えば実生活でやろうと思えばそこらへんの人を手当たり次第に捕まえて自分の考えを熱く語れますよね。選挙カーとかやってるし。けど相手が嫌がるだろうからやらない。これがリアルの考え方。だからネットでもやろうと思えば無断リンク禁止ってページにリンク張ることもできる、けど相手が嫌がるだろうからやらないとなってほしい。相手は明確に意思表示してるんだから、それを分かって主張の押し売りをするのは、勧誘電話と同じだと思う。

※ リアルで自重できてネットでできないのは、リアルと違って相手から「何言ってんのコイツ」と白い目で見られないこと、1人対大人数の構図になるからだと思います。


で、これを踏まえて「それでも無断リンク禁止・無断フォロー禁止を当然の権利のように思ってるやつは許せん」と思ってしまうならしょうがないけど、行き過ぎた行動をすると今度は技術で制約が加えられてしまう。

その結果がブログのコメント欄がほとんど閉鎖されてしまったこと。そしてアメブロ・mixiの台頭。コメント欄が制限なしで書き込めたブログ創成期は誹謗中傷が絶えなかったため、無視できない数の優良ブログが閉鎖したりアメブロ・mixiに移動して、本来ならインターネットで読めていたはずの良記事がアメブロメンバー・マイミク限定記事になってしまった。そうでなくてもコメント欄を承認制にするブログが増え、インターネットに1つ制約が加えられてしまった。

twitterも同じで、無断フォロー・無断リプライ禁止って人に分かってて@つけて主張の押し売りしてると、もしかして技術的に制約が加えられてしまうかもしれない(※)

  • ユーザー「無断リプライ禁止とか通用しないし。嫌ならツイート非公開にすればいいじゃない」
  • 運営「確かにそうですね。じゃあ全員のツイートをデフォルト非公開にします。公開したい人は設定で公開を選んでください。」

みたいな。これで文句の言いようがないんだよね。無断リプライ禁止派も、嫌ならツイート非公開にすればいいじゃない派もどっちの主張も受け入れてるから。けどやっぱつまんないでしょ。ほとんどの人がツイート公開にしてて自由に読めるほうがいいでしょ。

ということで、twitterその他各種インターネットがブログサービスみたいにならないように振舞いたいなぁと思ってます。

※ twitter創業者の考え方やtwitterのシェアから見て、twitterがシステム変更されたりtwitter以外のミニブログサービスが台頭したりということは考えにくい。だからといって嫌がる人に嫌なことをしていいということにはならない。


2010/9/2 23:35追記

まず最初に。みんなほんとに無断リンク話好きだな!正直ここまで反応あるとは思わなかったわ。確かにエントリーのタイトルが『「無断リンク・無断フォロー禁止!」を認めよう』=無断リンク・無断フォロー禁止肯定?と思われなくはないけど、僕のブログ見てもらっても分かるとおり無断リンク・無断フォロー大歓迎ですからね。そこらへんんはちょっと誤読しないで頂きたい。『「無断リンク・無断フォロー禁止!」と主張している人を生暖かい目で見守ろう…。』というタイトルだったらまた違ってきたかも分からんね。

僕が言いたいのは「無断リンク・無断フォロー禁止(という痛い主張)をしてる人に対して徒党を組んで殴りかかるのはやめようぜ」という話。儀礼的無関心。そう、それね。最近だとドラマの脚本化の北川さんの話ね。ああいうのがtogetterやふぁぼったーに晒し上げられる必要はないと思うんだ。つーかあの人、マスコミへの影響力あるだろうから「やっぱtwitterじゃなくてアメーバなう!を推しましょう!」とか言いそうじゃん。そうなると僕個人的には嫌なわけですよ。

そういう晒し上げて喜んでる人向けにエントリ書いたのであって、殴りかかるのではなく注意の声賭けをする人、「インターネットってのは誰でも見れるから、無断リンク禁止って言っても難しいし、ましてや個人情報晒すのは危険ですよー」と啓蒙するのはどんどんやればいいと思ってます。

以下TBなどで気になった点。

  • 「言ってることは分かるけど理想論杉」⇒確かに。ただ「言ってることは分かる」ならあなただけは殴りかかる側にならないでほしいと思います。
  • 「別に無断リンク禁止って言ってるサイトに目ぼしい情報ないし元々リンクしない。mixiに引っ込んでも問題ない」⇒確かに。こういう姿勢は好きです。思考の過程はどうあれ「殴りかからない」というのが重要だと思うので。ただ無断リンク禁止のせいではないですが、mixiに引きこもっちゃったR30さんやフリーダムSNSで日記書いてるfromdusktildawnさんの事も思い出して貰えればと思います。
  • 「無断リンク禁止って考え方を強制してるのはお前や!」⇒上でも書きましたが無断リンク禁止を推奨はしてません。タイトルで誤読させてしまったなら謝ります。

そんな所でしょうか。なんかあるならブクマでもメールでも。あとコメント欄も全開放でやっております。…見てるこっちが恥ずかしくなるコメントも多いけど。俺がゆとり世代かどうかはタイトル下に生まれ年書いてあるから分かるでしょw

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ルールや法律は感情によって作られる、という話。

ルールや法律ってのは感情から作られている。例えば人間が誰かにモノを盗まれても怒らないようなら「窃盗禁止」って法律はできてないだろうし、誰かに人助けされるのが嫌で怒りを感じるなら「人助け禁止」って法律ができていると思う

交差点に信号機がついてるのは事故を防ぐためだけど、それは事故に合うと痛くて悲しいからであってもし事故に合っても問題ない人の方が多かったら信号機なんてついてない。

全ての法律は人間の感情が元になっている

まず最初に感情が来て理由は後付けされる。

「なんか嫌なんだけど!」
「なんで?」
「えーっと…。だって○○は××だし…。」

と理由付けられる。東京都の「非実在青少年規制条例」なんてまさにそれ。理は反対派にあるが、論理で勝っても相手の感情は変えられないので防戦一方である。

金融関係の法律もそうで「俺が真面目にやってるのに、あいつはズルして設けやがって!」という感情・嫉妬心から作られている。よってホリエモンが逮捕されたのはある意味自然である。ホリエモンは軽い違反しかしてなかったとしても、それ以前の言動が一般人の反感を買ったので逮捕まで至った。だって法律は人間の感情に理由をつけるために存在してるんだから。

感情が法律にコントロールされてはいけない

法律は人間の感情に即して作られているから、もし違和感を感じたなら疑うべきである。”法律で決まってるから”と思考停止してはいけない。

例えば電車内での携帯電話。ルールでだめと決まっているが、疑問に思いつつ従ってはないだろうか?もちろん電車内での携帯電話使用はそれなりの理由がある。ペースメーカーに影響を与えると言われているし、2人の会話を聞くより1人の独り言を聞くほうが人間は不自然に感じる、というデータもある。

しかし携帯電話によってペースメーカーが誤作動した事例はないらしいし、人によっては車内の小声の携帯電話より隣の人のヘッドホンの音漏れやおばちゃん同士の会話の方が不快に感じるだろう。法律で決まってるから携帯電話への風当たりが強くなり、まるで正義の味方のように携帯を目の敵にする人が増え、結果、トラブルが発生している。こういう人は例えば明日から電車内でのヘッドホンが禁止されたら注意し始めるのだろうか?今まではなんとも思ってなかったのに?まさにルールの手下である。

甚之介の剣道雑記帳: 事例なし=安心とは限らないで「安全宣言するのは簡単ですが、安心は与えられませんから。」と書いているが、本当に安心を与えたいなら「携帯電話の電波は影響ない。ペースメーカーは大丈夫」と真実を伝えるべきだろう。だって携帯電話以上に電波の飛び交う日本ですよ。ペースメーカー使用者に不安を与えているのは何なのか。科学的根拠なのか?あるいは”ペースメーカーは脆弱”を前提としたルールなのか?


こんな事を思ったきっかけは、twitterのとあるハッシュタグ向けに過剰に宣伝しているアカウントがあって、確かに内容は合致してるんだけど投稿数が多すぎてそのアカウントフォローしているのと同じになっちゃってた。で、そのハッシュタグ見る意味なくなっちゃってた。

僕以外の誰かがこれって荒らしって言うんですか?とpostしてたので、僕は『ネットにおける「荒らし」の定義はやってる人に悪意があるかどうかじゃなくて、コミュニティ参加者が不快に思うかどうか。』みたいな事を言ったんですが、これって要約すると「俺が荒らしと思ったら荒らしだ!」ってむちゃくちゃな理論なんですよね。

けどこれが”ルール”の源泉で、誰かが不快に思ったからルールが作られる。それはネットコミュニティを見てると分かりやすくて古くからはBBSは2ちゃんねる、今はtwitterで公式・非公式RTの議論が出てお互いの派閥がいろいろ理由つけてますけど、全部自分が不快だからってのがスタートで、理由はそこまで大したものじゃない。僕が公式RTが好きじゃない理由って「自分がフォローしてない人の発言がTLに現れるのが嫌」ってだけで論理的ではないですし、非公式RT好きじゃないもの「in reply toで辿れないし自分のリプライタブが埋まってムカつく」ってものですから。

そう考えるとネットでの議論が平行線を辿るのは分かる。顔の見えないネット上では論理的にしか議論できず根っこの感情にたどり着いてないんだもの。

ということで結局人間の行動原理は感情で、説得ポイントを見誤ると意味がないどころか状況を悪化させかねませんよ、というエントリでした(無理やり纏めた)

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「増税はムダを省いてから」という意見について

今回の参議院戦では「消費税増税の前にまずやるべきことがある」と主張したみんなの党が議席を伸ばしたわけですが、正直この意見は実現されないと思う。なぜなら、例え本当にムダを省いてから消費税上げようとしても「まだこんな所にムダが!」とマスコミがネタを探して騒ぐに決まっているからである。本当にムダを省いたとしても、マスコミによってまだムダがあるように報道される。よって「ムダを省いてからの増税」というのは実現されない。

例えば「公務員改革」を掲げた場合でも、日本のどこかに交通違反してる公務員が一人はいるわけで。あとはマスコミが「こんなに悪い公務員がいましたよ~♪」と探してくるだけで終わりである。悪魔の証明と同じで絶対に解決不能な問題。

よって政治家がガチでマスコミに批判されないようムダを省いたりクリーンな政治を目指すだけ労力の無駄。ムダを省く努力はほどほどにして実利を取ってほしい。


つまり僕ら自身が「ここまでムダを省けば増税を許す」とかいう基準を持ってないとマスコミに踊らされる、という話です。僕としては、政治家のスキャンダルやましてや漢字が読めないくらいで議員を批判して、ついでの政策まで批判したくないなぁと思ってます。できれば大衆迎合のマスコミを黙らせるくらいインパクトのあるムダの省き方を見せて堂々と改革路線を進んでほしいけど、ムダを省くのにかかる期間だけ政策が遅れるわけで、できればムダ省きと増税を同時に進めてほしいと思います。あと3年あるんだからね。

※ 余談

ムダ省きとなると国会議員の議席数削減などが案として上がってくるけど、僕個人は反対である。というのは議席数を削減するほど世襲議員の割合が上がるから。議席数を減らすよりは当選回数の多い議員の収入を削って国会議員トータルで見て支出を減らすやり方なら支持します→国会議員奨学金を作ればいいと思った。

世襲議員を疑問視する理由は別エントリで書くつもり。

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国会議員奨学金を作ればいいと思った。

国会議員の年収が2000万円くらいで高すぎるから減らせ!って意見もあるけど俺は反対なんだよね。ていうのは、例えばぽっと出の新人(杉村太蔵くんクラス)が当選したとして、年収500万円くらいじゃどうにもならない。秘書雇ったりいろいろお金がかかる。そのくせ、次の選挙で落ちたらただの人。元の職業には戻れず貧乏くじ。

つまり杉村太蔵くんの場合、「国会議員なんかにならずに、高額年収だったドイツ証券に勤務し続けてればお金持ちになれたのに…」と世間の人は思っちゃうわけである。そんなんじゃリスクが高すぎて志ある一般市民は誰も立候補せず、地盤があり親がお金持ってる二世議員ばっかりになっちゃう。

で、思ったのは国会議員奨学金。具体的には新人で当選した人は年収2000万円くらいあげちゃう。二期目の人は1000万。三期目の人は500万って段々額が減っていく。新人は地盤も持たず協力者もなく、やる気はあるけどカネはないのでたくさんお金あげちゃう。仮に二期目に当選できずに国会を去ったとしても、一応お金はあるので次の職を見つけるまで食いつなげられる。セーフティーネット。

逆に三期、四期と当選すると中堅→大物と出世して、テレビ出たり自分でパーティー開いてお金集められるので、国からもらえるお金は”はした金”になるはずである。仮に落選してもそれなりの地位に居るのでどっかから声がかかって再就職できる。

今は国会議員になるメリットがなさすぎて+リスクが高すぎて、有能な人が「日本が滅んでも食っていけるように」と国は放っておいて民間企業でがんばろう!ついでに社内公用語を英語にしちゃおう!となってるのが現状。

もっと政治への参入障壁が減って「民間企業でトップ狙うのもいいけど、国会議員目指して国を変えるのも面白いかな。人生一回きりだしチャレンジしなきゃ!」とか思う人が増えればいいな。

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